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医学部受験の慶応進学会フロンティア» ブログ » 中村 克己» 毒を呑む

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毒を呑む

   投稿日: 2018/04/25    投稿者:中村 克己

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 先日、私はとある研修会に参加して来ました。

 大枠としては「東洋の知恵から学ぶ」という内容です。いわゆる自己啓発セミナーとも言えるコンテンツで、今までの私はあまり興味がない方面でしたが、今回はどうしても参加したく、時間と費用を工面しました。最長でこれから3年間、継続的に学び続けることになります。

 20数名の参加者がいましたが、その中には森友学園の現理事長もいらっしゃいました。今まで公の場に出ることは極力避けて来たけれども、いつまでも内にこもっているわけにもいかない、今回は思い切って参加を決意した、と。

 現理事長は私よりも年下の若い女性ですが、マスメディアで語られる森友学園と実際の像はかなり異なるのではないか、という印象を受けましたし、報道を鵜呑みにしてはいけない、真実は現場にしかない、という当たり前のことを想いました。イケニエを見つけたら徹底的に叩く、というマスコミの(大衆の)生理はつくづく怖い。その怖さを骨の髄まで味わってきたであろう彼女にとっては、今回の参加は勇気のいる決断だったと思います。人前に出れば、ブログに書く輩も出てきますからね(←お前や)。

 講師の先生は二人いらして、そのうちの一人は日産グループの裏ボスとも言える女性です(ちなみに、表のボスはカルロス・ゴーンです)。もう1人は10代でインドに渡って学びを積み重ねて来られた方で、無理に肩書をつければ、インド哲学・中国思想・日本思想の専門家、ということになると思います。もっともご本人はアメリカ在住40年で、米国事情にも当然精通しておられます。二人ともけっこうな高齢なので、この機会を逃したら死んじゃうかもしれない。何とか潜り込めて良かった、と、初回の受講を終えて思いました。

 私の参加理由は東洋の知恵を学ぶこと、特に「氣」について深く学びたいと思ったからです。私の生徒さんには限界を超えて頑張って頂かないといけない生徒さんがいますが、「限界を超えて」など、口に出すのは簡単でも実践は難しい。私見では、西洋合理主義の発想を超えて行く必要があります。

 それってどういうことか。例えば、幸田露伴の「努力論」には、次のような記述があります。

「努力して居る、若くは努力せんとして居る、といふことを忘れて居て、そして我が為せることがおのづからなる努力であつて欲しい。そう有つたらそれは努力の真諦(しんたい)であり、醍醐味である。(中略)努力して努力する、それは真のよいものでは無い。努力を忘れて努力する、それが真の好いものである。」

 読書に没頭して、気がついたら夜がしらじらと明けていたという経験を、江戸~明治期の高名な学者はみな経験しています。これならば、身体が睡眠を求めたときにそれに気づいて床につくことになるので、体にはさほど無理がかかりません。意識して睡眠時間を削るのと、勉強や仕事に熱中しているうちに気がついたら寝ていないのと。この二つの間には天と地ほどの開きがある。「ゾーン」に入ったとき、身体や脳には特殊な氣の流れや意識の覚醒が生じているはずです。仏語ではこれを「三昧の境地」と言います。

 私としては、教え子には皆この境地に入ってもらいたいのですが、それには私自身が、氣や禅について知る必要があります。また、我々21世紀に生きる日本人が、世界史的な、あるいは文明論的な広い文脈においてどこに位置しているのか、その見取り図が欲しい。自らの位置づけが分かった上での使命感。そういったものがあってこそ、真の学習意欲が湧くのではないか。

 話がやたらと大袈裟になりましたが、自分(達)が抱える問題を解決するのに東洋の知恵にヒントを求めるのは私だけではないはずです。欧米人でも珍しくはありません。スティーブ・ジョブズが禅に傾倒して何度も日本を訪れていたことは有名ですし、ラリー・エリソン(オラクルの創業者)が京都に家を所有しているのも同じ理由からです。曲がり角を迎えている西洋文明に対し新たなパラダイムを提示しうる存在として、日本を含めた東洋思想に着目するのは自然な流れではないでしょうか。

 学んだことはこのブログでも発信したいと思っていますが、日本の学校教育ではまず教わらない内容ですから、読者の皆さんは違和感を感じるかもしれません。私も違和感を感じ、受講後は頭がパンパンに疲れましたが、新たなことを学ぶときには、過去の自分の常識や感覚は全て捨てることにしています。そうでなければ、新しいことは入って来ない。

 まずは空っぽになることが大事。これは、長年生徒さんを見ていて痛感してることでもあります。クリティカルシンキングをしつつ、空っぽになれる能力。それが出来る人が、講師の教えを最も良く吸収し、やがて超えて行きます。私もその研修の場では、生徒の立場で大いに学ぶつもりです。自分のフィルターをかけずに。

「薄められた毒から人々は色々なことを学ぶであろう。併し、真に学ぶとは毒を呑むことではあるまいか」by小林秀雄

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