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専門家になるという自覚

   投稿日: 2015/01/09

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医学部の受験生には医者の子弟が多い。特に地方の開業医にこの傾


向が強く見られる。経済的な理由もさることながら、これには日本の社会



独特の精神的風土が絡んでいる。

 



医者は典型的な専門家である。専門家ということは一般の人には分から


ない知識や手法を多く身に着けている。医者としての活動はこれらの専


門性の高い知識や理解を駆使して遂行される。医者の治療を受ける患



者たる一般の人から見れば、何をされているかよく理解できないまま処



置をゆだねていることになる。専門の知識は果たして患者の健康回復の



ために正しく使われているのだろうか。

 

医者ではなく歯医者の話であるが、知人の講師に虫歯を患った者がい



た。2
,3年前のことである。長年歯医者にかかったことがなく何処に行け



ばよいか分からなかったので、とりあえず居住地の新宿に比較的近い


国立病院の歯科に行った。担当医は高周波治療が良いといって、虫歯


1本のみを対象とするのではなく、口腔全体に処置を施した。ところが



症状は改善するどころか今度は歯全体が痛み出した。再度診断を求め



ると、担当医が言うには歯全体が既に朽ちているので総入れ歯にした方



がよい、入れ歯作りのうまい仲間の歯医者を紹介するからそこに行って



治療を受けた方が良いとの事。不審に思った知人は同じ担当医にか



かった何人かの患者に聞いたところ同様な手口でえらい被害を被ったと



の事。知人は早晩その病院に行くことは止めたが、口腔全体に広がった



歯の痛みはおさまらず、カンカンに激怒しているが後の祭りである。

 





患者は医者の専門知識と手腕に期待と希望を持つと同時に恐れと不安



を感じている。この恐れや不安を抹消するものがあるとすればそれが人



間的信頼である。長年の親交と実績に裏打ちされた信頼関係は地域医



療の要である。

 





ところが人の活動には限りがある。強固に培わられた信頼であっても、



医者はやがて年をとり活動を停止せざるをえない。頼りに暮らしていた



地域住民もかかりつけの医者を失い、新たに探すとなればまた恐れや



不安に直面する。そこで登場するのが医者の子弟である。人々は息子



や娘に医者の分身を見、変わらぬ信頼をはぐくんでいく。本来は独立し




た全く別の人格であるはずなのだが、そうは見ないのである。





個人の自立を謳った近代社会においても親子関係における周囲の意識



は残っている。日本の社会はこの傾向が色濃く残るものの
1つであろう。



世に世襲議員あり、同族企業あり、
伝統芸能の家元制度ありで、伝習さ



れる社会的地位、職業、立場の枚挙には暇がない。近代の倫理観から



すれば、機会均等、競争原理の理念に反するが、力関係だけではなく周



囲の人々がこれを支持、賞賛している場合も多い。親が著名な俳優であ



る人気タレントも多いし、かっての大相撲の若貴兄弟横綱も人々の喝采



を浴びていた。期待を集める
2世議員も少なくない。ことの是非は別にし



て社会を動かす力の
1つであることには相違ない。人々の医者に対する



思いもこの流れの中にある。医者の子弟は本人の意思にかかわらず周



囲からの期待にさらされている。変な話かもしれないが、実態として彼等




の医学部受験は地域医療の確保と振興に一役買っているといえる。

 

 




ところで、専門家は医者だけとは限らない。近年専門家の役割が大きく



クローズアップされたのは何といっても3.11の東日本大震災において



であろう。原子力工学、地震学等の多数の専門家が絡んでいる。





専門家により絶対に安全だと長年言われていた原子力発電所で事故が



起こった。ただ一般市民もそれまで黙っていたわけではない。発電所建



設の際各地で反対の訴訟が起こった。判断を下した裁判官もまた専門



家の一人である。だが法律には詳しくても科学技術については門外漢で



ある。ある裁判官は原子力の専門家の言葉をただ鵜呑みにして反対派



を排除した。事の内容が理解できたのかとの問いに対して、諮問を受け



た専門家は手順に従い適法に人選されたので何ら問題はないと主張し




た。一方で自らが直接現場に出向き実際に目で見て判断を下した裁判



官もいる。どの程度技術内容を把握できたかは疑問だが、自身が納得



のいく範囲で結論を出そうとする前向きの姿勢は評価すべきであろう。

 





科学技術の進展や社会の多様化に伴いますます専門家の種類、数が



増加していく傾向にある。彼らの専門知識が正しく社会の発展に生かさ



れるのであろうか。市民による専門家の活用や監視、すなわちシビルコ



ントロールが同時に重要になっていく。だが、如何にしてこれを遂行する



かが大きな課題である。近年大学への進学率が高まり専門学校で学ぶ



人達も増えている。適切な説明さえあれば一般市民でもある程度専門



知識を理解できる下地ができつつある。同時に知識の細分化、複雑化も



進んでいる。専門家と呼ばれる人達の側でさえ、同じ専門分野の話でも



異なったテーマであれば多少準備をしないと先端の知識まで到達できな



い情況にある。医者に関しては、不適切な治療に対しての訴訟も増えて



いる。妥当な訴訟もあると推察されるが、一方で治療結果が思わしくな




いと言ってやたらと訴えられては医者の方でも萎縮してしまい、公知の



ありきたりの医療しか施せず、多少工夫すれば治癒したかもしれない症



状に対して、変哲のない旧態然たる手法で対処したために良好な結果



を得ることができないという事態も起こりうる。インターネットによる情報



の普及も大きく寄与することが期待されるが、まだまだ具体的な姿を得



るには時間を要する。




 

一般社会の専門知識に対する理解度が増しつつあるとはいっても、現



代社会には専門家による解決に待たなければならない課題が山ほどあ



る。社会の動向を決定する上での専門家の役割は大きい。先述の原子



力の問題、自然エネルギー開発、地球温暖化現象、停滞している経済



復興、先端医療等々。専門家として現在世に受け入れられている人達



に果たしてこれらの課題を達成する力量があるのだろうか。関連する話



題が生じればときどきマスコミに何某大教授とか何某研究所所長等の



肩書きをもった人達が登場するが、多少その分野の知識があれば誰で



も思いつくようなことを口にするだけで、上記のような重要な社会的諸問



題に対して適切な提言をすることができる人は僅少である。どのような



人達が専門家として罷り通っているか、正しく専門家を選定することは社



会の力量である。

 







医者は、医大を卒業し国家試験を通って認定されれば、直ちに専門家と




して世に受け入れられ、同時に専門家としての期待と役割を担わざるを



得なくなる。





医学を志す諸君は、専門家になるという自覚をもって自らの道をしっかり



歩んでもらいたい。










物理担当  相馬 光敏

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